解決法のみにフォーカスする「門学」

「門」と「スピリチュアル」

2016年5月4日

今朝のメルマガに書いたことですが、
わりと反響がありまして、
同じ内容をブログ版に編集して掲載します。

私は、
目に見える物事の裏側に
目に見えないさまざまな作用が飛び交っているというのは
疑いようのないことだと思っています。

五感以上のものを研ぎ澄ませてみれば
感じ取れることです。

しかし、その感覚には個人差があるし、
見えないし測定もできないから
証明できるものではありません。

万人と共有できない世界です。

しかし、
見えないからと言って無視するのではなく、

自分の感性を磨いて
見えない世界を味方につけるほうが、

さまざまな点で「守られた」存在になっていく、

というのが私の観察してきたことです。

見えない世界に心を開いても、
見えない世界を「味方に」できなければ
弾かれてしまいます。

見えない世界を「味方に」つけることができれば
見える世界にもさまざまな恩恵が現れてきます。

それは、遠まきから見ているだけではなく、
仲間に入れるように
手を伸ばし、
つながりを作っていくようなもの。

例えば、
「バイク好き!バイク乗りたい!」
と言ってみたとしても、

本当に免許を取得してバイクを手に入れて
乗り回してみて初めて、

バイク仲間になれる、

というようなものです。


スピリチュアルメッセージで語られることは、
大きなスケールからの視点です。

大きい視点は自分の位置を知るのに
役に立ちます。

しかしそれを目の前の現実として
今何をしていくのか、
ということは、

より具体的な見方が必要です。

たとえばですが、
ゆっくり時間をとって
自分を大切にするときです、
というメッセージが来たとします。

自分を大切にするとは
どういうことなのか。

ただ、ゴロゴロしたりして
のんびり過ごせばよいのか?


私にとっての答えは、

せっかく与えられた
希少な、
凄いポジションである「地球での生」を、

「こんなにいい人生を過ごせてよかった、
何も言うことはない」

いつも思いながら生きて
死んでいくことが何より大切で、

そのことに立ち返らせてくれる時間を取ることが、
自分を大切にする時間なのではないかと思います。


「やり甲斐」と「生き甲斐」
この2つはどれだけ追求しても
いつまでも追求し甲斐のあることです。


私はたくさんの生を転生しているという
世界観を持っていますが、

仮にそうでなかったとしても、

私たちの両親、祖父母、曾祖父母、

両親2人、祖父母4人、曾祖父母8人・・・と
先祖をたどっていくと、

ものすごい数の先祖のDNAが
現に自分の細胞の中に
受け継がれているのです。

先祖は30代前で
1,073 ,741,824人、
つまり10億人になる計算・・・・

日本だけ見ても10億人もいるはずはないので
ほとんどの人の先祖が
共通していると考えるしかないです。

つまり
30代、600年ほど前をたどっただけでも
何だかよく分からないほど
いろんな人の血が混ざっています。

その星の数ほどの先祖の記憶が、
自分の DNAの中に眠っていたとしても
おかしくないと思いませんか?


地球に生まれてきた「生」
膨大な先祖の記憶を受け継いだ「生」

このような視点から自分を見て、

自分がどう生きたら
世界が、
つまりたくさんの先祖が
ブラボーと言うだろうか?

と想像してみるのです。

自分の生き方に直接影響してきた
1代2代の近い先祖ではなく、

もっともっと、何十代も前の
遠い無数の先祖たちの思い。

その先祖たちは一個人ではなく
もう、
世界の進化を見ている「集合体」です。


生まれによって職業も結婚も
何もかも決まっていたような時代、

戦いに続く戦い、
略奪に続く略奪に明け暮れていた時代から、

今の時代に生きている私たちを見て
どう思うでしょうか?


そういう大きな視点を、
時には宇宙レベルで考えさせてくれるのが
「スピリチュアル」

その大きな視点から
「現生」を位置付けたときに、

今回の生涯で与えられた
持てるものを最大限に使い、

持たないものを躊躇なく切り捨てていく、

というシンプルな生き方への
方法と考え方を
個別に授けてくれるのが
「門学」だと思っています。


少なくとも私は門学に出会い
より具体的な力を得ましたし、

大きな視点と具体的な方法は
リンクしていて、

自分の「門」に属する
過去性的な記憶が自然に流れ込んできて
世の中の作られ方が見えてきたり、

でも、見えたからといって
自分が今世で作用を及ぼすことのできる範囲は
ここからここまでしかない、
というのも感じたりしています。


人間の生きる目的は「愛」だと思いますが
そのふわっとしたものの中身は
今日書いた「現生の生かし方」に始まるのではないかと
思っています。


愛なき力は暴力なり、
力なき愛は無力なり。


自分が自分であるための「力」
これは、
生きていくために必要なのです。

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