昨夜は、
3年前に門鑑定を終了されたOさんとの、
スカイプでの再面談でした。
門(もん)の鑑定とは(link)
(有料ですが再面談も行っています)
3年前はそれほど門鑑定のインパクトがなかったそうで
鑑定書もどこか奥にしまわれていたとのこと。
それが、
断捨離をしていたら
すっかり忘れていた鑑定書が出てきたので
読み直してみると、
「3年前から今までの歩みが
鑑定書に書かれている姿に
自然に向かってきたかのよう」
「鑑定書に書かれていた注意点に
反することをしていた時期は
体を壊していた」
「現在は3年前よりもずっと
鑑定書そのままのとおりに生きていることに
驚愕した」
と気づき、
改めて話を聞いてみたいと
思ったのだそうです。
私からすると
Oさんは、
3年前の段階でも
わりと門のとおりのことをされていたので、
門のよき発動事例として
記憶しておりました。
昨夜のお話からすると、
3年前に私が「◯門らしい」と
Oさんに対して感じたことは、
Oさんにとっては
当たり前すぎるほど
当たり前だったことで、
Oさんらしさが
さらに開花するための項目は、
3年前のOさんにとっては
面白みも何も感じない、
むしろ
「あまりそうなりたくはない」
と感じたことだったのでしょう。
でも
3年の時を経て、
Oさんは意図しなくても
Oさんの門の進化形になっていた・・・
門(もん)には門ごとの「欲求」があります。
(面談時に配布している
門学入門資料の3〜7ページの一番下の
赤い文字の項目です。
古いバージョンではついていませんので
鑑定済みの方で古いバージョンしか持っていない方は
お問い合わせくださいね)
属する組織や、
身近にいる人々に
その「欲求」を抑圧されたり
自分で遠慮して
「欲求」を閉じ込めることがなければ、
その「欲求」のままに
まっすぐに
進化・成長します。
太陽の光に向かって伸びる
植物のように。
image
本来の自分の姿に向かう「欲求」は、
抑えるべきものでも
卑しく思うべきものでもなく、
この社会の中で
完全燃焼して生きていくために
必要な「燃料」であり
自分のための「養分」なのです。
大事にすべきものです!
Oさんには、
避けて通れないけれど苦手なこと、
がありまして、
それは確かに
門の構成を見ると
苦手なことですが、
生まれながらの門のとおりに
生きることができていれば、
その「苦手なこと」が苦手のままでも
なんとかなっていきます(^^)
まず、大きな問題にはなりません!
ですが・・・
客観的に見ると
そうだと分かるものの、
渦中の本人にとっては
大きな問題に感じられることも
しばしばあるでしょう。
保証の見えないことを
「大丈夫」だと信じることが
どれだけ難しいか。
これは門に関係なく、
私も含めて
すべての人に共通の課題ですね!