お客様と話をしていて気づいたのですが、
うちの高校生の子供たちは
わりといろんなことを私に話してくれます。
子供たちが帰ってくるのが
毎日楽しみです。
子育てに関しては、
先輩ママ・パパであるお客様方との話の中から
いろいろ学ばせてもらった気がしています。
自分が子供や思春期だった頃の気持ちをよく覚えていて、
イヤだったことは子供にしない、
子供の気持ちに寄り添う、
子供のほうが自分よりも優れている点を認識していて
子供のことを尊敬している、
そんな感じの方々の
お子さんたちとのあり方が、
いいなぁと思わせてくれるものでした。
親の都合、というものは
子供は敏感に見抜くもので・・。
親が「〇〇しなさい!」と子供に言うときに、
それが子供のためというよりも
自分の不安をぬぐうため、
という要素が強かったら、
子供にとってその言葉は
白々しく聞こえてしまいます。
でも、
哲学や信念のようなものが感じられれば、
わりと素直に聞いたり、
そのときは飲み込めなくても後に生かすことができたりします。
「勉強しなさい」と言うか、言わないか?
これについても昨日話していたのですが、
私はあまり言わない派で、
それは、
勉強しさえすれば必ずよい未来が待っている、
という時代ではないということと、
勉強しろと言わなくても
する子はするし、
しない子はしない。
する子は勉強が楽しかったり
そこに意味を見出しているからするし、
しない子は勉強が苦痛であるか、
あまり意味を感じていないのでしょう。
そういう「しない子」に対して
ムリに勉強をさせて
たとえばいい高校や大学に入れたとします。
そこでまた
新たな競争が始まって、
競争に最後まで勝ち残るのは
必ず「ゆとりのある子」です。
ゆとりのエネルギーが豊富に残っている子。
ムリをして
エネルギーがすり減ってしまった子は、
いつかどこかで
それ以上頑張れなくなる時がやってきます。
私はそういう人をたくさん直接見てきたので
どうしてもそういう考えになります。
勉強でなくても
他にゆとりを持って能力発揮できることがあるなら
それに勝負をかけたほうがいい、と。
「死ぬ気で頑張れ」なんて言葉がありますが
ゆとりの持てる分野で死ぬ気で頑張るなら
またすぐに回復できるし
視野を広く持つことができますが、
ゆとりの持てない分野で死ぬ気で頑張ったら
本当に死にます・・・。
ドボン。
門学で伝えているのは
そういうことです。
これに対して、
もしも自分が勉強をサボったために
不利な思いをした、
と感じているお母さんだったら、
子供には勉強してほしいと思うでしょう。
それは自然なことだし
子供にもそう伝える流れなのだと思います。
それだったらただ「勉強しなさい」と言うだけじゃなくて
その背後の思いやストーリーも
真剣に語って聞かせたら、
子供も納得するのでは。
子供が実際に勉強するかしないかはともかく、
うるせえな、とはあまり思わないはずです^^
そして、
自分も一緒に何かを勉強すると
さらにいいかと。
仕事上の勉強でもいいし、
「お母さんもこれから英会話がんばるわ」
とかでもいいし。
親がやっていることは
子供も学習する、ので、
ウチの場合は
子供たちと一緒に本気で空手をがんばり
本気でゲームもプレイし(笑)、
そうすると子供の方が優れているところも見えて
心からスゴイなーと思えるし、
私自身も勉強するとか
そんな感じのことを心がけました。
要するに
せっかく子供と過ごせる時間を
大切に楽しんできただけということですが^^;
私と同じく修門の低い長女、
長時間勉強すると弱るので
親としても進学先に高望みはできないな、
就職するかもしれないな、と思っていましたが
高3になった今年は意外なことに
自ら学校に遅くまで残ったり
休みの日も塾に自習に行ったり
私から見れば十分に頑張っていて、
昨日、
とある1つの大学の
1次合格の通知を受けました花
受かる可能性は決して高くなく、
また本命ではないこともあり
親子ともども全く期待していませんでしたが
やはり合格は合格。
嬉しいし、
自信になったと思います(^^)
ゆとりの持てる努力と、
運と、縁。
ゆとりある心でしか
「世の中のために」
「人のために」
は考えられない。
だけど
「世の中のために」
「人のために」
という思いがどこかにないと、
物事がうまく立ち行かない。
運気ダウンや、収入減に直結。
これから子供たちが
どんな選択をしていくのかわかりませんが、
どんな選択をしようと
とても楽しみに思っています!