日曜日の
宝達山・一人登山(link)にて。
2回目となり
山に少し慣れてきた体で、
勢いにまかせて先週よりもスイスイ
下山していました。
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ゆっくりと歩いていた
年配の女性を
抜き去ったあとに思ったのは・・・
なんか
先週の下山よりも
味わいが薄くないか?
先週は
木々の勢いや
足の下の土の感触に
もっと感動しながら歩いていたのに、
今日はひたすら
急ぐだけ。
(末っ子を家に残してきたせいもありますが)
周囲が見えていない!
自然の声が聞こえていない!
途中で抜いたゆっくりの女性は
風景をかみしめるように
歩いていました。
今は私は
白山登山準備のためのトレーニングなので
体が鍛えられるように歩いていますが、
白山登山が終わったら、
あんなふうにゆっくりと
時間をかけて歩きに来るのもいいかもしれない、
と思いました(^^)
そしたら昨日の朝、
NHKBSの「グレートトラバース」
(プロアドベンチャーレーサー田中陽希が
己の人力のみで挑む日本の山々をつなぐ旅)
にて、
その田中陽希さんが、
「目的のために先を急いで歩いていると
車で通ったのと同じような見え方になってしまう」
と言っていました。
だからたまには意識して、
多くのものを感じて歩こうとするのだとか。
登山に限らず
日常生活でも、
忙しさのあまり
毎日を駆け足でただ通過するかのように
過ごしていることが
多いのではないでしょうか。
ふと気がつくと、
ただ「こなしてきただけ」の人生になっている。
それでは何かが欠けていると思ったら、
どこかでゆっくり立ち止まってみる必要が
あることでしょう。
ある人は意識的に立ち止まり、
ある人は無意識のうちに
強制的にストップを入れる。
(体調を激しく崩すとか)
立ち止まって、
今その風景から自分は何を感じているのか、
感覚を研ぎ澄ませてみるのです。
そこから導き出した
次の自分の進み方は、
手応えある人生を創ってくれるでしょう。
そもそも人間は
頭で余計なことを考え過ぎ・・・
ゆっくり感じるということは
頭が忙しすぎるからなかなかできない、
とも言えます。
財門が高ければ
一瞬のうちに軽々といろんな算段ができる。
修門が高ければ
モグラが地中を掘り進むかのように
ひとつのことに熱中できる。
創門が高ければ
人より多くのことを感じ取れる。
自分のあまり高くない門の
頭の使いかたをすることや、
迷いや不安のことを
あれこれ考えたりすることは
堂々巡りにしかなりませんので、
自分の門にそぐわない頭の使い方を
まずやめていったらよいでしょう。
自分の門を知るには
こちら(link)から。