昨日の朝は3時間ほど、
人気(ひとけ)の少ない山間部に行って
陽創門友人と語り合ってました。
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インスピレーションや気づきの源になってくれる友人です。
ときどき、
他人の考えではなくて
社会の一般的な思考ではなくて
私自身の思いは何なのか?
ということを
確認する時間が必要です(^^)
今、起きていることは
自分の思いの結果。
本当に切実に思っていることならば、
今、すぐここで実現する。
あるいは、
それに向かって進み始める。
もしもそうなっていない、
グルグル考えたり
不安になって動けないとしたら、
それは、
いま本当にはやりたくないことです。
悩んでいることのほうが快適。
悩むことで
自分を防御する。
何から?
できないことへの保険かもしれないし、
それよりも先に
やっておきたいことがあるのかもしれない。
または、
それを「やりたい」と思うのは
社会でヨシとされるからとか
周囲から認められるためだけであって、
ほんとうはそんなことは
自分にとってはどうでもいいのかもしれません。
よい成績を残すこと。
バリバリ仕事をすること。
資格を取得すること。
ステキな恋愛をすること。
結婚すること。
お金持ちになること。
不労所得とかそういうのを持つこと。
出世すること。
起業すること。
社長になること。
社会的ステイタスを得ること。
みんなが一生懸命追いかけている
その何かは、
ほんとうは自分にとっては
どうでもいいことなのかもしれません。
子供の頃、
何を望んでいた?
3歳か4歳くらいの頃です。
私は
上記に挙げたことは
どうでもよかった。
大きくなったらふつうに家族を持ちたい、というのは
うっすら思っていたかもしれないけれど、
お金とか出世とか起業とか
まったく頭をよぎったことはなく。
3歳か4歳くらいでも
お金持ちになりたいとか
お金のことがよぎる子もいて、
そうであればきっと
大人になったらお金持ちになっているはずです。
私はそれはなかったけれど、
何か人の役に立てれば、とは思っていた。
基本的には、
童話やおとぎ話に出てくるような
美しいファンタジーの世界を愛する
平和な子供でした。
しかし
ファンタジーでは生きていけないのだと。
今となっては
ファンタジーでも生きていける気もするけど
「生きていけない」と
思い込まされた。
思い込んだ。
身につけなければいけないことがあるよ。
こんなふうに
こんな生活を目指して
生きていかなければいけないよ。
そのように
ささやかれていた感じです。
そして
そう思い込んだ。
エデンの園では
アダムとイブは幸せに暮らしていた。
あるときヘビにそそのかされて
知恵の実、禁断の果実を食べるのですよね。
ヘビは新しい世界観を見せた。
イブはそれに乗った。
それが罪だとか悪だとかは
私は思わないんです。
新しい体験、
より多くの体験をしたかっただけ。
それが人生の旅。
その結果、
それまでよりも困難が増えるとしても。
いや、
困難のことは想像がつかず、
夢のような未来だけを思い描いたのかもしれません。
この世界に生まれてきたヒトは
この世界の「王道の」価値観を見せられて
無言のメッセージを受け取ります。
常識や規範に沿って無難に生きることだったり、
成功や富を追い求めるんだよというメッセージを。
常識や規範は安全・安心に見えるし、
成功や富はまばゆく見えたり、
自由で
強くて
幸せに見えます。
気がすむまで
追い求めたらいい。
中途半端に欲望をくすぶらせるのは
かえって自分を破壊します。
門学の示すとおりに
生き様を設定したら、
だいたい自分の満足できるところまでは
行けるはず。
でも、どこかの時点で、
「ほんとうにやりたかったこと」や
「ほんとうに在りたかった姿」に立ち還らないと、
キリのないゲームになっていきます。
今、
社会の中でだんだん
そのゲームが暴走してきていて、
あれ?
ほんとうは何を求めていたんだろう?
という疑問が
じわじわと浮かんできている気がします。
まだ
暴走の止め方に気づいている人は少なくて。
子供の頃の自分、
あるいは
この世に生まれる前の自分が描いていた
「本当にやりたかったこと」
それに気づき、
戻り、
社会のニーズではなく
他人の欲望ではなく
自分の欲求のとおりに生きていく。
外に承認や
エネルギーを求めるのを終わりにして、
自分で自分の泉から
エネルギーを得ていく。
そういうことが
これからもっともっと
大事になると思います。