さて今日は
昨日の続きのようにもなりますが、
子供や部下などを
「ほめて育てる」ことの是非は置いておいて、
全くほめないよりは何かほめたほうがいいだろう、
という観点です。
何か、
優秀な結果を出したらほめる。
まずこれはやりやすいですよね。
しかし
この世の親には
・子供が何か結果を出したらそれは当たり前
・子供が何か不十分な結果を出したらそれはとがめるべき
という人も少なからずいるもので、
そういう態度をとられると
子供は何かしら葛藤を抱えるようになります。
この人は褒めない親なんだ、
ということに
18歳のときにはっきり気づいて期待しなくなった私は
まだ早かった方みたいで、
もしもほめられないことへの葛藤を
30代、40代、それ以上まで持ち続けていたら
苦しいことと思います。
結婚する前、
夫の家に初めて挨拶に行った時、
お義母さんは夫に対して、
「この前の会報(とある機関紙)に書いてた文章、よく書けてたね」
とか、
小さい頃の写真がリビングにかざってあるのを指して
「あなたたち(夫は3人兄弟です)が小さかった頃は、ほんとに可愛かったよ!」
とか、
夕食のほんの2時間くらいの間に
私がそれまでの人生で親から聞いたこともなかったタイプのほめ言葉が
出てくる出てくる・・・
このお義母さんは、
毎日こうやって育ててこられたんだろうか。
日常的にほめ言葉を聞いて育った夫、
どちかというと欠点の指摘のほうが多かった私、
なんという落差・・・
何よりそれが衝撃で
家に帰ってから泣けました。
今思えば
このお義母さんがいたから
官門のコピー能力で
子供のほめ方をコピーしたのかもしれませんが、
(門学についてはこちら)
実際に子育てしてみると
日常的に ほめどころを見つけるって
案外難しい・・・
スゴイものを創るとか
理解が早いとか
何か賞を取ったとか、
そういう
わかりやすい結果が出たときだけじゃなくて
「日常的に」ほめる、って、
どこをほめたらいいのやら?
昨日のブログに書いたことに重なりますが、
子供の門を知ってから、
ほめどころのポイントが定まりました。
その子がその子の門に合った、行動、言動、発想、
あるいは外見だったり
人との接し方だったり をしたときに、
それいいね、と言えばよかったのです。
たとえば集中力、
これは短期決戦的な集中力と
長時間集中力の2種類がありますが、
長女の場合は短期決戦的な集中力を見せたときにほめる
末っ子の場合は長期集中力を見せたときにほめる
これでバッチリとわかります。
でも
もしたまたま
長女が長時間集中していた
末っ子が短期集中力を見せた
このときは
ほめる必要はないんです。
持っていない門のことをしているので、
むしろそこはやらなくてもいいことであり
エネルギーを浪費することでもあるから
「疲れたでしょ、ちょっと休憩したら?」
こんな感じで声をかけます。
もちろん状況に応じて。
これで自然に、
子供がどんなことを大事にしていけば
社会に役立つレベルの自分の能力を育て、
発揮できるようになるのか、
みずから学習していくことができます。
それも
門が違えば
子供によって違うから、
長女に長時間集中力を求めてはいけないし、
末っ子に短時間に莫大なエネルギーを注ぐ集中力を求めてもいけません。
私が子供のときにはピアノが弾けたり
そこそこ成績が良くてほめられたりはしましたが
ピアノ→創門ぽい
受験勉強→修門ぽい
どちらも
仕事としては選ばないほうがよいものでした。
(※創門以外でプロの音楽家もいらっしゃいますので一概には言えません)
朝ドラ「エール」で藤堂先生が言ってた
「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて
ほんの少し簡単にできることできること」
は
ほかのところにあったのです!
(気づくのが遅すぎなくてよかった)
今日のまとめ
門に合った言動はほめどころ
合わない言動にはむしろ
「そんなにやらなくても」
「それべつにやらなくても」等
兄弟は平等に育てたら
不平等になるかもしれない、
門が違うなら。
ということでした!