昨日の続き、
魂のグランドデザイン2021(募集は終了)、
にまつわるお話です。
昨日のHさんは家族全員の門鑑定をされていて、
子育てにも活用されています。
まわりのお母さんは公文とか英語とか行かせてるそうですが、
幼少期に行かせる必要はない、とHさんは思うようになったそうです。
今は情報が多すぎていろいろと焦るけど、
自分が受けてきた教育に自分は納得いっていなかったことに気づき
教育について正しい正しくないの概念がひっくり返り、
考え方を変えた。
変えられたから今「息ができている」。
正しいか正しくないかを基準に生きていると、
人生どこかで行き詰まる。
身の回りにもそれで苦しくなった人がいる。
親戚のお子さんで
この子は創門だろうという子がいるのだそうです。
その子のお母さんは、
公文に通わせたり
硬めの習い事をさせたり
必死なのですが、
その創門ぽい子はすっかり弱ってしまっているのだそう。
Hさんは、
その子に計画立ててもらって親子デートとかしてきたら?
と、創門に必要な「楽しみ」「感性」を磨く活動をすすめてはみるのですが、
その子のお母さんは、
「この子は勉強もちゃんとできていないのにそんなことしてられない」
と言って、
とにかく創門に合わなさそうな、
逆にエネルギー落としそうなことを、
ひたすら詰め込んでいるのだそうです。
なんか
聞いているだけで
私まで苦しくなりましたが
合わないことを続けると心身ともに限界くるのは
経験済みなので
(※ 創門でも勉強が好きで楽しくやっている子はいます。興味の対象がそこにあるのでしょう。また、修門や財門アビリティの有無によっても勉強への取り組み方が違ってきます)
多くの人はこういうとき、
「創門ではメシ食えない!」
と考えてしまうのではないかと思います。
しかしですね、
先週、
陶芸家のお客様がこんな話をされていたのです。
自分は田舎町で育って、
友達は手堅い職についている人が多い。
看護師とか、公務員とか。
そんな中、
自分は芸術大学に行った。
自分より成績のよい子で、
絵が得意で芸大に行きたいと言っていた子がいたけれど、
その子の両親が「芸大ではメシが食えない」と言うので
ふつうの大学に行った。
だけど、
芸大でもちゃんとメシは食える。
広告業界など、
あの色とりどりのデザインをしている人の半分は芸大卒だ。
メシは食えるし、
さらに頭がよかったら、
大成功できるかもしれないのに!
・・・ということでした。
芸術で「メシ食えるよ!」と
これほど一点の曇りもない言い切り方をしていただいたことは
初めてでした。
これからは創門系の方々に、
もっと自信と確信を持って
創門的な道をオススメできます(^^)
多くの人は
「いい学校、いい会社、あわよくば出世」
「どれだけ給料がもらえるか、休日はどうか、定年はいつか」
そういう視点だけで育ち、
就職し、
働き続けるのかもしれません。
それで何の疑問も感じず、
むしろ幸せに生きられる人もきっとたくさんいます。
しかし、
それでは何かが違う、
何かがずっと引っかかる、
どこか決して満たされない、
さらには心や体に支障が出る、
そういう人も少なからずいます。
私もそうでしたので。
だけど、
何が違うのか?
どこに引っかかっているのか?
どうしたらこの「私はこのままでは終われない」感覚を
埋めることができるのか?
そこが長いことわかりませんでした。
今ではわかります。
自分の持って生まれたものを活かせてなかったから。
長距離マラソンに向いてる体なのに100m短距離走をがんばっていた、とか、
学者気質なのに工場の現場で肉体労働していた。とか、
花とか自然に触れるのが好きなのにITエンジニアでパソコンの前に1日中張り付いてる、とか、
そういうことをしてると
不完全燃焼もいいところ、
黄金の炎を輝かせることなく灰になる、
なんてことになってしまいます。
そして、
社会の傾向と仕組みにより、
持って生まれた資質をつぶされていくということがあります。
たまたま日本社会の傾向にわりと合っていた人と、
たまたま両親に理解があって
個性そのままに育ててもらえた人、
は
かなりラッキーです。
門鑑定した中にも
ラッキーな人たちも一定数いらっしゃいましたが、
多くは、
どこか違う方向に自分を伸ばしてきた人でした。
そもそも門学に興味を持つというのは、
人と人との違いに気づいているということです。
自分の現在の状況に著しい不満はないけれど
人との違いについて興味があるから門を鑑定してみようという人。
自分で自分のことがわからなくなっているから
門を鑑定してみようという人。
どちらも、
そのベースは「人との違い」にあります。