「門」で人間関係を向上させる

イヤな人から自分を守るために

2019年10月18日

さて
しばらく門学の話題を書いてませんでしたが
昨日は「門の暴走」についてメルマガを配信しました。




門の暴走とは、
自分らしくあることの
・やりすぎ
・不完全燃焼
のどちらかと解説しました。



で、
自分の門が暴走するのは
恐るるに足らず!


ーーーーー

日本の親は「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、
インドでは、「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。

ーーーーー

「人と人が各々の違いを知り、認め、生かし合う」

という門学の趣旨に合っているのは、
インドの考え方のほうではないでしょうか?

と書いたのでした。




門を活かし、
自分でもなかなか見つけられなかった
「本当の自分」
として生きられることの喜びを
ぜひ味わってください!(^^)




自分の門の暴走については
メルマガで書いたように対策可能ですが、

自分じゃなくて
他人の門が暴走していて
イヤな思いをすることがあります。



人から攻撃される、
攻撃されたように感じる、

というのが
一番多いでしょうか。




依存されるとか
ちゃんとやってくれないとか

そういう不満として感じることもあります。



相手のどんな門が暴走しているかによって
ニュアンスは変わるでしょう。




そうなった場合に
自分がやられてしまわないためには、

やっぱり、

自分の門がしっかり発動しているというのが
一番ではないかと思うのです。




立門だったら・・・
懐の深さで包み込むめるかもしれないし、


創門だったら
愛情で包み込める相手ならそうするし
ぶっとんだ弾けっぷり(バカ殿様とか^^)で相手を混乱させるかもしれないし


財門だったら
裏で根回しして緻密に対策したり
頭の回転の鋭さでやり返すかもしれないし


官門だったら
相手をばっさり切り捨てる(態度で)かもしれないし



修門だったら・・・?
いちばん想像つきにくいのですが
独自の世界に入ってしまうカタツムリ戦法?

エネルギー吸い取る?
いや
吸い取るのはむしろ暴走しているときのようなので違うのか。



とにかく
門によって自分の身の守り方は
それぞれだということです!

門が違う人のやり方は
うまくマネできません・・・。




大学時代にやっていた少林寺拳法の教えに、

「愛なき力は暴力なり、
 力なき愛は無力なり」

というものがあります。




「力なき愛は無力なり」

これを最初に聞いたとき、

子供時代を
キリスト教にだいぶ触れて育った私には
とても新鮮で感動しました!




そうか、
いくら愛を持っていても
力がなければ無力なんだ。

と。




キリストやブッダだって
体力とかも含めて
すごく力(人間力というのか)があった人のはず。




それから少林寺拳法では
「頼るに足る自分を作る」
というのが一番の教えとなっており、

確かにそうだと
深く納得しまして、

おかげできっと
「我が生涯に一片の悔いなし!(ラオウ)」
と死ぬまぎわに思えるだろう程度に
生きてこられたと思います。




少林寺拳法も中国由来ですが
門学も中国の華僑の人たちが
水面下で使っていたもの。



考え方に似たものがあり、
なんか
ご縁かなぁと思います!(^^)

-「門」で人間関係を向上させる

Copyright© 門鑑定 太田かおり , 2024 All Rights Reserved.