「しっかり考えることが苦手です・・・汗」
というお悩みの声があったので、
ひとこと。
「しっかり考えることが苦手です・・・汗」
というお悩みの声があったので、
ひとこと。
人によっては
考えなくても
いいんです!!!
「考える」ことと対をなすのが
「感じる」です。
考えるのが得意で
考えることをウリにできるキャラクター、
感じるのが得意で
感じたことをウリにできるキャラクター、
それぞれはっきりと
違いがあるんです!!
image
中国4千年の統計学「門(もん)」から算出される
キャラクター構成要素、資質の中に、
考えることの最も得意な門・・・修門
感じることの最も得意な門・・・創門
があります。
算出した
自分の生まれながらの門が
修門または創門である人は
わかりやすいですし、
どちらでもない人は
「能力値」として出ている門を見て、
自分は修門系なのか、
創門系なのか、
またはほぼどちらも使えるのか、
判断します。
私は「創門系」
考えることよりも
感じることのほうが得意で、
感じたことのほうが正しくて、
感じたことのほうが
ずっと成果につながります。
開業した14年前の当初から、
自作のウェブサイトとブログを
運営してきました。
それは「必要だと感じたから」。
1995年にインターネットの存在が
一般に知られるようになってすぐ、
「これはすごいことになる」と感じて
その年にパソコン
(当時からMac)を買って
インターネットにつなぎました。
・・・まだ電話回線の時代。
その年には
個人のホームページも開設してみました。
内容はたいしたものではなかったけど、
ホームページ作成という作業を
自分でもやってみたくなったのです。
ホームページってすごい!
お店に行かなくても
お店のホームページを見れば
どんなお店か分かる!
このすごさと便利さ、
自分が開業するなら当然
自分の店のホームページを持つべきだよね?!
と「感じ」ました。
自分が魅力を感じる
ホームページを参考に、
見よう見まねで
ホームページを作り、
ブログも書き。
デザイン含めて
プロにお願いしたことはなく。
「こうしたほうがいいんじゃないか」
と感じたら、
すぐに
作ったり
修正かけたり。
SEO対策とか
売れるホームページの秘訣とか
教えてもらったわけでもなく、
まさに、見よう見まね。
だけど、
開業後3年以内には
ホームページを見てから来てくださる人の割合が
90%以上になりました。
「感じる」というのは
データとか根拠とかなくても、
時空間からとつぜん拾うかのように
頭に浮かぶことです。
それに対して「考える」のは、
過去の資料、
客観的な情報、
自分の頭の中の記憶など、
膨大なデータを調べて
分析して
根拠とともに「導き出す」ことです。
私がいつもやっているのは前者。
感じること。
後者、つまり
考えることをやろうとしても
全くうまくいかなくて。
「修門」が低くて
「創門」のほうが高いから。
プラス、
官門の〇〇〇能力も使えます。
逆に、
膨大なデータを集め、
そこから分析して結論を導き出す、
というやり方が
驚くほど得意な、
修門系の人も世の中にはいらっしゃいます。
自分に合ったやり方があります!
合っていないことをやっても
うまくいかないんです。
だけど、
日本人の価値観の中に
「苦手なことは克服すべき」
というのが
根強くあるので、
合っていないことも
頑張ってしまい、
膨大な時間を
消耗してしまうことが多いです。
この、
合っているか合っていないかの判断は
難しいところです。
・努力がまだ足りないからできないのか?
・そもそも努力してもできる見込みがないのか?
私も
「門(もん)」の算出結果がなかったら、
今ほど自信を持って
「私は、考えるよりも、感じるほうが大きな成果を出せる」
とは
言えてないと思います・・・。
「努力してもできる見込みがないからやりません」
と、おおっぴらに言ったら
「それは『逃げ』でしょう」
と言われがちな社会です。
ですが、それは
施政者が一般庶民に力を持たせないために
吹聴してきたことなのでは??
と勘ぐりたくなる・・・
帝王学として
水面下で使われてきた「門(もん)」では、
確実に結果につながるように
行動を決めます。
できないと分かっていることはしない。
それは逃げではないです。
ただし、運命から逃げたら
負けます。
国が攻め滅ぼされそうな時に、
何もせずにおとなしくしてたら
当然攻め込まれて負けます。
逃げるわけには
いきません。
そして、勝つため、生き残るためには、
「苦手克服」しながら戦争はしないですよね?
ふつうの人の5倍の距離から弓を的に当てられるような達人に、
「キミは剣が苦手だから剣の練習をしなさい」
とは言わないですよね?
(故意に達人を失脚させたいなら
そう言うかもしれませんが)
自国の部隊の戦力が
最大限に引き出されるためには
どうしたらいいかを考えると、
苦手を克服するよりも、
それぞれの人の持つ
最大能力を
さらに高めるほうがよいに決まってます。
そういうことなんです。
「考える」ことと対をなすのが
「感じる」です。
考えるのが得意で
考えることをウリにできるキャラクター、
感じるのが得意で
感じたことをウリにできるキャラクター、
それぞれはっきりと
違いがあるんです!!
image
中国4千年の統計学「門(もん)」から算出される
キャラクター構成要素、資質の中に、
考えることの最も得意な門・・・修門
感じることの最も得意な門・・・創門
があります。
算出した
自分の生まれながらの門が
修門または創門である人は
わかりやすいですし、
どちらでもない人は
「能力値」として出ている門を見て、
自分は修門系なのか、
創門系なのか、
またはほぼどちらも使えるのか、
判断します。
私は「創門系」
考えることよりも
感じることのほうが得意で、
感じたことのほうが正しくて、
感じたことのほうが
ずっと成果につながります。
開業した14年前の当初から、
自作のウェブサイトとブログを
運営してきました。
それは「必要だと感じたから」。
1995年にインターネットの存在が
一般に知られるようになってすぐ、
「これはすごいことになる」と感じて
その年にパソコン
(当時からMac)を買って
インターネットにつなぎました。
・・・まだ電話回線の時代。
その年には
個人のホームページも開設してみました。
内容はたいしたものではなかったけど、
ホームページ作成という作業を
自分でもやってみたくなったのです。
ホームページってすごい!
お店に行かなくても
お店のホームページを見れば
どんなお店か分かる!
このすごさと便利さ、
自分が開業するなら当然
自分の店のホームページを持つべきだよね?!
と「感じ」ました。
自分が魅力を感じる
ホームページを参考に、
見よう見まねで
ホームページを作り、
ブログも書き。
デザイン含めて
プロにお願いしたことはなく。
「こうしたほうがいいんじゃないか」
と感じたら、
すぐに
作ったり
修正かけたり。
SEO対策とか
売れるホームページの秘訣とか
教えてもらったわけでもなく、
まさに、見よう見まね。
だけど、
開業後3年以内には
ホームページを見てから来てくださる人の割合が
90%以上になりました。
「感じる」というのは
データとか根拠とかなくても、
時空間からとつぜん拾うかのように
頭に浮かぶことです。
それに対して「考える」のは、
過去の資料、
客観的な情報、
自分の頭の中の記憶など、
膨大なデータを調べて
分析して
根拠とともに「導き出す」ことです。
私がいつもやっているのは前者。
感じること。
後者、つまり
考えることをやろうとしても
全くうまくいかなくて。
「修門」が低くて
「創門」のほうが高いから。
プラス、
官門の〇〇〇能力も使えます。
逆に、
膨大なデータを集め、
そこから分析して結論を導き出す、
というやり方が
驚くほど得意な、
修門系の人も世の中にはいらっしゃいます。
自分に合ったやり方があります!
合っていないことをやっても
うまくいかないんです。
だけど、
日本人の価値観の中に
「苦手なことは克服すべき」
というのが
根強くあるので、
合っていないことも
頑張ってしまい、
膨大な時間を
消耗してしまうことが多いです。
この、
合っているか合っていないかの判断は
難しいところです。
・努力がまだ足りないからできないのか?
・そもそも努力してもできる見込みがないのか?
私も
「門(もん)」の算出結果がなかったら、
今ほど自信を持って
「私は、考えるよりも、感じるほうが大きな成果を出せる」
とは
言えてないと思います・・・。
「努力してもできる見込みがないからやりません」
と、おおっぴらに言ったら
「それは『逃げ』でしょう」
と言われがちな社会です。
ですが、それは
施政者が一般庶民に力を持たせないために
吹聴してきたことなのでは??
と勘ぐりたくなる・・・
帝王学として
水面下で使われてきた「門(もん)」では、
確実に結果につながるように
行動を決めます。
できないと分かっていることはしない。
それは逃げではないです。
ただし、運命から逃げたら
負けます。
国が攻め滅ぼされそうな時に、
何もせずにおとなしくしてたら
当然攻め込まれて負けます。
逃げるわけには
いきません。
そして、勝つため、生き残るためには、
「苦手克服」しながら戦争はしないですよね?
ふつうの人の5倍の距離から弓を的に当てられるような達人に、
「キミは剣が苦手だから剣の練習をしなさい」
とは言わないですよね?
(故意に達人を失脚させたいなら
そう言うかもしれませんが)
自国の部隊の戦力が
最大限に引き出されるためには
どうしたらいいかを考えると、
苦手を克服するよりも、
それぞれの人の持つ
最大能力を
さらに高めるほうがよいに決まってます。
そういうことなんです。