「門」で自分の軸を作る

自分を出すことが怖くなる環境でも

2018年6月2日

昨日は長年のお付き合いのYさんから、
開業15周年のプレゼントをいただきました。

 

 

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手づくりの包装が素敵です☆
ありがとうございました!

わざわざメーカーや小売店に電話して
手に入れたスパイスなのだそうで、
使うのがとても楽しみです。



Yさんは
キャンペーン期間中に体験していただいた
新整体の効果もかなり持続していて、

昨日あたりふと
「そういえば私はずっと毎日
 首や肩が痛かったのだった」
と思い出したくらいなのだそうで、
本当によかったです。

お互い、
もっともっと
軽くて疲れない体に
なっていきましょうね〜(^^)/





そして
午後に整体にいらっしゃったGさんは
一昨年門鑑定をされていて、

門学についての質問がてら
たくさんお話をしました。



自分の門(もん)を全開にしちゃって
いいんだよ〜というお話です。

 矢印 中国4千年の能力開花術「門(もん)」


日本という国は
個を殺すことを美徳とする風潮があって、

今さかんにテレビでやっている
日大アメフト部だったり、
そこらじゅうの組織や会社で、

どちらかといえば暴力的な権力(地位)によって
下の人たちを盲目的に従わせて
秩序を力づくで維持する、

というところがあります。



出る杭は打たれるし
個性が突出していることが「恥ずかしい」とすら
思えてしまう社会。



門学の前提は
ちょっと違っていて、

自分の生まれ持った能力と個性を
磨き、とがらせてこそ、
社会の中で自分が果たしやすい役割が
回ってくるのだ、

という考えです。



実際にその考えを取り入れて
物事がスムーズに回り出した人は
たくさんいます。





生まれながらの自分とは違うものになろうとしたり、
生まれながらの自分を隠したり抑圧したりする、

ということを続けていると、

自分の中の何かがずっと苦しいままですし、
誰もがなんとなくできるような
当たり障りのない
あまり重要視されない役回りしか回ってこない、

という世界観です。




だから、
生まれながらの門(もん)が分かったら、
思いっきり自分の門に目覚めていけばよいのです(^^)

開門、ですかね。




ここで足を引っ張るのが
自分を出しすぎたら恥ずかしい、
自分を出しすぎて「出る杭は打たれる」になるのが怖い、
という思いだと思います。



そんなとき、
次の4つのケースを考えてみてはと思います。


(1)
社会や一般常識に合わせるために
本来の自分を抑え、
自分らしくない振る舞いをして、
良好な人間関係を築いている。


(2)
社会や一般常識に合わせるために
本来の自分を抑え、
自分らしくない振る舞いをして、
人間関係がこじれている。


(3)
本来の自分らしく生きて
人間関係がこじれている。


(4)
本来の自分らしく生きて
良好な人間関係を築いている。




どれが一番いいでしょうか?




多くの人は
(4)はあり得ないと
思っているのかもしれません。

または、
(4)は理想だけど
難しいことなのだと。



それで
(1)自分らしくない振る舞いをして良好な人間関係を築いている
をめざすのかもしれません。



でも
多くの場合、

結局(1)ではなくて
(2)自分らしくない振る舞いをして人間関係がこじれている
になっている時間のほうが
長くはないですか?




そうなると次に、

(2)自分らしくない振る舞いをして人間関係がこじれている

(3)本来の自分らしく生きて人間関係がこじれている
では
どちらがマシでしょうか?



(3)のほうは
最初は勇気がいるかもしれません。
本来の自分を生きること、そのものに対して。


でも
私が思うに、
(2)自分らしくない振る舞いをして人間関係がこじれている
これは、
出口の見えない状況です。
何かがちょっと好転しても、
またエンドレスに問題が降りかかってきます。



それに対して
(3)本来の自分らしく生きて人間関係がこじれている
この状況は、
門学を知っているのであれば、
「やりすぎた」自分をほんのちょっとボリュームダウンさせれば
いいだけの話です。

ちょうどいい塩梅で
本来の自分(生まれながらの門)らしく振る舞えるのなら、
物事がうまくいくことのほうが
断然多くなりますから。




日本人は、
自分を出すことに対して
周囲から脅かされすぎ、
不安にさせられすぎなのだと
思います。


でも、
そんな日本社会でも、

誰が力を持っているかというと
思いっきり自分を出している人たちです!




遠慮することありません。


人間関係がこじれること覚悟で
思いっきり自分の門(もん)らしく
振舞ってみたほうが、

案外、

人へのウケがいいことに
気がつきます。



生まれながらの門(もん)は
不思議なもので、


そのとおりの印象を醸し出している人は
魅力的に見えるし
それらしく見えるし
なんだかデキる人、ちゃんとやってくれる人に
見えちゃいます。



生まれながらの門(もん)らしく
見えていなかったら、

「えっ?」

「あれ?」

と、
何かが欠けているような印象を
無意識のうちに感じ取られてしまうのです。




その結果、
ツッコミたくなる、
スルーしたくなる、
イライラして怒りたくなる、
など

何もしていないのに
相手に余計な感情を抱かせてしまうことも
ありえます。




いま振り返ってみれば、
私も過去に
そんなふうに思われたであろうことがあって、

途方に暮れたあげく
生まれながらの門(もん)である
官門ぽく・・・
(当時は門学は知りませんでしたが)

バトル覚悟で
ちょっと言葉に刃を含ませるくらいの勢いで
私の正義を主張してみたら、



意外にもあっさりと
場がおさまっただけでなく、

相手からの大きな信頼を
獲得することになった、

という経験があります。




そこからが
そのグループでの
私の官門の発動・・・。

若かったので
官門をいい感じに崩すことが
うまくできなくて
多少しんどかった面はありますが、

(門学では
 官門ばかりやり続けると
 〇〇を痛めることが分かっています)

それでも
成果を出すという点においては
非常にうまくいきました。



それは
1つの成功体験でした。


親に教育された自分でもなく
社会からの無言の要請に応えた自分でもなく

私が私として
考えて行動した
成功体験でした。




人間関係を築く上で、

とにかく衝突を避けるために
「自分を出さない」
ことを選ぶ人は多いとは思いますが、

その先に
楽しみとか充実感とかは
あまりないのでは・・・?




「本来の自分らしく生きて
 良好な人間関係を築いている」

こちらが実現できれば、
その先に
想像つかないほどの豊かで面白い世界が
ずっと続いています。




門学の知識を使えば

「本来の自分らしく生きて
 良好な人間関係を築いている」

これが
難しい理想ではなく
リアルタイムの現実として
近づいてきます。





昨夜は
金沢市の加賀百万石まつりの一環である
「灯籠流し」が開催されました。

うちから近い場所なので、
夫、末っ子、私の3人で
自転車に乗って観に行ってきました。

 


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上流のほうは
静かで幻想的。

 

 

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下流側は
屋台なども出ていて
にぎやかなお祭りです!


気候も良くて
さわやかで気持ちよい夜でした。



いつかは
川沿いのバーで、
静かにグラスを傾けながら
灯籠流しを観てみたい・・・・
と思うのでした(^^)

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