このごろの門鑑定の面談で
〇〇門の説明の引き合いに出している正岡子規は、
俳句に使われている日本語を調べるために
歴史上の俳句を調べていったと言います。
その数、12万句。
聞き間違いかと思いますよね?
さらに、先週、
正岡子規は34歳までの生涯で
2万句もの俳句を作った、
とお聞きしました。
何をどうやったら
そんなふうになるのでしょうね??
・・・と思いますが
おそらく
正岡子規は、
何かになろうとしたわけではなくて、
正岡子規であっただけ。
自分自身であり続けただけ。
天才は、そりゃ
持って生まれたものが違うから・・・
という話にもなりますが、
もし、
自分自身であり続けようとすると
何もしない、
ずっと遊んでる、
サボりっぱなし!
何もない自分!!
そんなふうだったとしても、
まず
そこから始めても
いいんじゃない???
と思います(^^)
現代という時代のせいもあり
日本という国の性格もあり
ここは忙しい世界です。
日本でお寺を持って
たくさんのベトナム人留学生に慕われている
ベトナム人の尼僧の話が
昨日のNHKで放送されていましたが、
残業も多いし土曜日も休みじゃなくて大変だ、
と悩みを打ち明けるベトナム人留学生に対して
「日本の生活は機械のように忙しいです
でも そこに小さな喜びを見つけましょう」
と言っていたのが
なかなか脳裏から離れないのでした。
機械のように忙しい・・・
「機械」ですよ?
自分自身であるどころか
人間ですらない、かのように。
身も心もそうなってしまったら、
まずリセットが必要です。
絵の具でいっぱいのキャンバスを、
いったん白紙にする作業。
これからますます多くの人が、
「自分」について深く考えるようになるでしょう。
「自分」は「自然」です。
努力をすることになるかもしれないけれど、
それでも自然です。
「何をどうすればそうなるのか」
と問うまでもないか、
問うてみてもすぐに答えのイメージが出てきます。
道すじを描くことができます。
自分自身であり続けられるなら。
イチローが小学生の頃に書いた
有名な作文がありますよね。
ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。
そのためには、中学高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。
活躍できるためには練習が必要です。
ぼくは、3歳のときから練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていましたが
3年生の時から今では、365日中360日は激しい練習をやってます。
だから1週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
まだ続きがありますが省略。
ぼくの夢はプロ野球選手、で終わっていません。
そこまでの道すじが描けていますし、
すでに実行しつつあると書いています。
ここでよく言われるのが
「イメージすることは大切だ」
ということなのですが、
確かにそうなのですが、
自分でないもののことは
イメージはできません。
無理にイメージしても
的外れなものになるだけです。
私には修門がなかったから
研究職をずっと続けられなかった、
と門15日メルマガに書いていますけど、
科学者であるためには
何をすればいいのか、
どうしたらいいのか、
想像できたんです。
想像できたからこそ
途中まででもできたんだと思います。
ただ、
想像できるのに
その想像どおりの能力が
どうしても欠けていた。
ネジが足りないかのように。
その足りないものが「修門」だったのだなと
あとから思ったわけです。
そんなふうに
想像できるけど
能力が足りなかった、
ということもありますが
想像できちゃったものは仕方がない!
途中まででも
進んでみるのが私の道、
だったのです(^^)
これに対して、
もう1つ持っていない門、
財門。
財門はかんたんに言えば
商人の門ですが、
もうね、
大きなお金を動かすこととか
会社を作ったり銀行と取引??したりとか
ぜんぜん想像がつかないんです。
わからない。
正岡子規やイチローと同様に
違う世界のことだなーと思っちゃいます。
だからもちろん
商人にはなれません!
個人事業主でしょ?
と言われそうですが、
形態はそうなんですけど
自分のことを商売人だとはもちろん思ってなくて、
ただ
元気がなかったり
自分を見失って苦しくなっていたりしている人が、
自分の力、つまり
体の力・心の力・何かを信じたり夢を描いたりできるような力を
取り戻せるように働きかけることはできる、
というイメージがあるだけなのです。
できるかできないかは後付けで、
イメージが自然にできた方向に行く。
個人事業主のよいところは、
「こういうスタイルでなければダメ」
というのがないことです。
日本の科学者は、
たくさん勉強してたくさん論文を読んで
たくさん実験して論文書いて発表して、
さらに大学の先生になると
大量の事務仕事もしなければならない、
という型があります。
私ももしかしたら
自分の本当に興味あることだけを
実験して考察して
それだけしていればいいのなら
科学はできたかもしれませんが、
日本の科学者という枠には
はまれなかったんです。
でも個人事業は、
こうすればいけないというスタイルがなくて、
何でもよくて、
いくらでも自分の思いや能力に合わせて
工夫していける余地があります。
そこがいいです!
正岡子規もイチローも、
自分のスタイルを創る余地があったと思います。
俳句を2万句読まなければいけないから
そうしたのではないし、
通算3000本安打をしなければいけないから
そうしたのではないはず。
自分が自分自身でいるとき、
結果も、
目標すらも、
おのずと現れてきます。
これからはそういうことが、
誰に対しても
どんどん大切になってくるはずです!
「自分自身でいること」こそが
いちばん安全、安心、であるようになります。